『僕のサーカス』
2001年4月26(木)19.00
27(金)19.00
28(土)17.00
京都教育文化センター大ホール
配役
ロイ・ハッド(ロイ・ハッド大サーカス団長。中山拓。)
むう(ロイ・ハッド大サーカス団の女優。ますだ美季。)
ぱっくん(ロイ・ハッド大サーカス団の経理担当。のむらしんいちろう。)
靴下(ロイ・ハッド大サーカス団の女優。八田幸恵。)
ハールクイン(ロイ・ハッド大サーカス団の道化。伊藤恵一。)
イズリントン(ロイ・ハッド大サーカス団の道化。マキタ・キャロット。)
こっち(ロイ・ハッド大サーカス団の女優。沖田文子。)
来(ロイ・ハッド大サーカス団の女優。呼び込み役。高木夏子。)
いんこ(ル・シルク・デュ・ポロションの女優。榊阿希子。)
枕元(ル・シルク・デュ・ポロション代表。大野裕之。)
つよし(ル・シルク・デュ・ポロション男優。マッチョ。三沢隆志。)
レアモン(ル・シルク・デュ・ポロション男優。服部有希。)
バアア(ロイ・ハッド女優。のちに移籍。山下多恵子。)
インド(ロイ・ハッド大サーカス団の男優。後に移籍。竹内充春。)
ANGEL(後藤裕子。)
ジャグリング・ドーナツのみなさん
京大奇術研のみなさん
湊いずみ、和久愛子、岡林兼太郎、松浦憲政
the Staff
作曲・脚本・演出=大野裕之
振り付け=ミス・イヴォンヌ、マキタ・キャロット、ますだ美季
オーケストレイション=味黒晴男
照明=三沢裕史
舞台監督=竹内充春
舞台美術=大瀬藍、吉田悠来
宣伝美術=服部有希
小道具=鴨谷敬史
衣装=沖田文子、榊阿希子、大瀬藍
制作=中屋宏隆、鴨谷敬史
名誉制作=みさちゃん
<概要>
時代遅れのサーカス団「ロイ・ハッド大サーカス」で経理を担当するぱっくん。彼はサーカスのショーに出てはへまばかりしている。ある日、そんな彼に、別のサーカス団から
誘いの声が掛かり、幼いころからの夢だったサーカスの演出をするために、大切な恋人も捨てて、別のサーカス団へと移っていく。だが、別のサーカス団が彼をスカウトした目的
は、別のところにあった・・・。 あるサーカス団をめぐる人間模様を、恋人を残して退団せざるを得なかった男の視点から描いた、少しノスタルジックな、あたたかい作品です。サーカスを舞台に「見世物」の原点に戻り、見た人すべてがあたたかくなれるミュージカルです。
劇団とっても便利・新時代の幕開け
劇団とっても便利はミュージカルというジャンルのもつ多様な可能性を追求することを団是としている。日本ではどうしても、ミュージカルといえば明るく楽しく歌い踊り、夢と希望でハッピーエンドというものが多く、人によってはそんなもの恥ずかしくて見られない、ということになってしまう。本場ロンドンでは、それこそ大河ドラマからSFまで、政治・宗教ものから、アホなお笑いものまで、いろんなタイプのミュージカルがあるのだ。それを日本でもやってみたいと思って僕達は作品作りを続けている。
ただし、やはり、そう言うモットーでやるからには、半ば戦略的にミュージカルになりにくい素材を作品のテーマにもって来ようとしていたことも事実で、劇団とっても便利のこれまでの作品はどちらかといえばシニカルな不条理なものが多かった。
本作『僕のサーカス』は、その点で、劇団とっても便利としてはまったく新しいタイプの作品である。単純なハッピーエンドとはいかないが、見るものを根本的なところで励ますような作品作りを目指した。
2000年の夏にいつものようにロンドンを訪れた大野裕之は、"HARD TIMES"というディケンズ原作のミュージカルを見た。特大セットに大予算のミュージカル(ライオン・キングとか)が幅をきかすなか、セットはほとんどなく、役者の身体だけで、いきいきと物語を展開させていく古風なミュージカルは新鮮でさえあった。(詳しくは大野裕之・不完全版を見よ)そして、口ずさみやすいメロディに楽屋落ちやアド・リブまでまじえての愉快なパフォーマンスは、観客を心の底から楽しい気分にさせた。
『僕のサーカス』は、そんな見せ物の原点に立ち返ろうと思った。カバンを使った最小限のセット。色とりどりの衣装を来たいきいきとした役者の身体。共感できるストーリーに覚えやすいメロディを目指した。またシンプルな構成のなかにも、僕達の人生の楽しさと悲しみとかを描ければと思った。
結果、この四月公演のあと、幼稚園での公演、中高生ミュージカルでの公演、そして福井公演など、この2001年だけで、4回の再演を行った。まさに様々な地域(京都・大阪から福井まで)、様々な年齢(幼稚園児、中高生から年輩の方々まで)に見ていただき、喜んでもらえた。この作品は、その意味で、現在の劇団とっても便利の到達点でもある。
脚本は、2001年の2月渡英中にアイディアを練り、その後3月にパリに渡って一気に書き上げた。主人公ぱっくんが歌うバラードと冒頭の「僕のサーカス」の曲以外は、ほとんどの曲を、パリのジャック・ボンセルジャンのホテルおよびカルティエ・ラタンのペンションで書き上げた。
冒頭とラストのサーカスシーンで、ジャグリング・ドーナツのみなさん、京大奇術研のみなさんに見事な技を披露していただき、多くのお客さまの喝采を浴びた。両団体のみなさんには記して感謝します。
なお、この作品の公演三日目で、京都教育文化センター公演における公演一回あたりの最大動員数を記録した。
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